ピン太の日記

30代無職独身一人暮らしの日記

3.11

こんばんは
ピン太です


東日本大震災から今日で7年経ちましたね


東日本に住んでる人はずっと3.11を忘れないかも知れないですね


当時の事を思い出して書きたいと思います


当時は普通の会社員で工場で内勤をしていました


どことは言えませんが首都圏です


最初は普通の地震かと思ったんですが同僚達が工場から慌てて逃げてるのを見て


「あ、俺も避難しなきゃ」って感じで1番最後に外に出ました


工場内のガラスが割れんばかりに揺れていたのを思い出します


外でぼーっとしていると工場長が携帯で震源地と震度を調べて教えてくれました


「宮城県震度7・・・!」聞いて唖然としましたね


ただそれだけなら「宮城やべーな」で終わってたんですが私は違いました


理由は当時付き合ってた彼女が宮城在住だったからです!


慌てて彼女に電話しましたが繋がりません・・・


仕方なく休憩をしにテレビを見たらこの世の終わりみたいな映像が流れてて言葉もありあせんでした


仕事はと言うと普通に続けてて「こんなことしてる場合か?」とちょっと思いましたが黙って仕事してました


すると携帯が鳴りました。彼女からです。


どうやら無事だったみたいでホッとしたのを覚えてます


彼女が「心配した?」と明るく言うもんだから「そらするでしょ」と返しました


その日は本当は彼女がこっちまでやってきてお泊りデートの日だったのですが東北新幹線は動いてないみたいです


折角楽しみにしていたのにガッカリしました


その時はまだその程度の認識だったんですよね


そして夜。気仙沼が火の海になってるのを観て「こりゃあヤバいかもな」なんて思う反面
彼女とのデートがキャンセルになったので当時の友人の家に翌日遊びに行くことにしました


正に対岸の火事。宮城はヤバいけど彼女は無事だし思ったより普通に話してたし非日常すぎて感覚がおかしかったのかも知れません


翌日友人の家に遊びに行き、ご飯はコンビニでと思って行って驚きました


食糧がほとんどない!そこでようやく実感が少しは湧いたというか


何で東京のコンビニの食糧がなくなるんだ!?私は危機感が薄いから解らなかったけど


それと海岸?に数百の遺体があがったと聞いた時これはヤバいと思いました


その後計画停電なんかありましたが私が彼女とようやく逢えたのはGWになってからでした


東北新幹線の復旧を毎日まだかまだかと待ってました


当時私がした事は何もなく敢えて言えば募金をちょっとしたくらいです


宮城在住の彼女とは電話やSNSでよくやりとりしていたので宮城でもヤバい所とそうでもないところがあると思いました


後日彼女に聞くと色々大変だったみたいでしたが私に愚痴等は逢うまで言いませんでした


彼女に感謝されたのは震災の2週間前に逢った時に携帯の充電池(単三で使えるやつ)を買い与えてた事


これが凄く役に立ったようで感謝されました


電池もこっちに来た時ドンキホーテで沢山電池を買ってたので(今にして思うと凄い。たまたまだったのに)有効活用できたみたいです


私にとっては3.11はデート予定日の花金だったし特別な日だったので忘れないと思います


震災でお亡くなりになった多くの方のご冥福をお祈りいたします


今日Yahoo検索で3.11と検索すると10円寄付したことになるみたいでさっきしました


それではまた